ヤクティブブログ

「誰かのため」という依存。

「誰かのため」っていう依存もある。そう聞いたときハッとした。

誰かのためって言っておくとその誰かに責任を持っていける。

 

 

誰かのためって言っておきながら結局は巡り巡って自分のため。

そういう場面は石ころくらいあふれている。

というよりも、誰かのために不利益をこうむる人ってそんなにいないし、

そこまでして誰かに尽くすのは難しい。

YACTIVEは役に立ちたいと思って作ったけどそれは誰かのためかというと違う。

面白い、楽しいって思えることをしてそれが結果的に役に立つことになれば

そんなにいいことはないよね、っていうのがスタートだから。

結局は自分が楽しいって思えないと心って動いていかないものね。

それは自己満足ってことなんだけど自己満足で何が悪い!って開き直ることもやっぱり必要になってくる。

 

 

 

それに本当に面白いことって手間がかかったり面倒だったり、実は苦しかったりする。

面白いけどイヤになることもある。

最終的にはたぶん面白いだろうけど、そのために準備がたくさんいるようなことだ。

その間には「なんであんなことしてるんだろう?」とか「あいつはおかしいんじゃないか?」とか言われることも出てくる可能性だって大いにある。

でもそんな雑音を気にしていたら面白いは逃げてしまう。

 

 

 

基準は自分。

それを「誰かのため」って基準を人にしていたら面白いこととはめぐり合うことはできない。

「誰かのためという依存」そんな生き方はしたくないな、と思ういい言葉だった。