ヤクティブブログ

農村ってなんだ?

青年農業士講座制研修というのに参加しました。

やたら長い名前なんだけども、要は「青年農業士」を名乗るための研修。
青年農業士の特典は今のところ分からないけど、
リーダー論、プロジェクト作成・継続手法、数字管理、ITC活用と
普段の農業系の研修と比べると非常に中身が濃かったので満足。
 
 
研修とは全く関係のないところなんだけど、
講座の中で「農村」っていうキーワードが出てきて、何故か妙に心に引っかかる。
そういえば、色んな所で「農村」って言葉はよく聞くんだよ。
普通はあんまり聞くことはないと思うんだけど、農業関係だと本当によく聞く。
最近だと「里山」って言葉になってるかもしれないけど、多分、同じ文脈で使われてる。
なぜか分からないけど、その言葉がスルー出来ない。
前から考えてる「やさしい農園」とリンクする言葉だからかもしれない。
「農村」がやさしいのかって言われると、それはちょっと微妙だけど。
 
 
それで、こっそり調べてみた。スマホって本当に便利。講師さんすみません。
農村の果たしてきた役割については農林水産省とか各県市町村のページにあったりした。
中山間地域の水田地帯のことしか書いてない。少しガッカリ。
水田による水の保全。山間部と都市部の境界線。地下水の保全。
地域の伝統と文化の保全。里山環境の維持、保全。保全。
確かに中山間地域の壊滅で土砂崩れが起きやすくなったり、
シカやイノシシといった獣たちが都市部に降りて来やすくなるとか大変だろうけど。
伝統と文化の保全以外は技術でなんとか出来なくもなさそうな事だと思う。
民間が自主的にやってきたことだから、それを公共事業的にやろうとすると
莫大な時間とお金と人とエネルギーが必要になってしまうんだろうけど。
 
 
でも、それは農村の本質じゃないような気がするんだよね。
そのために農村・里山を守りましょうって言われても、って感じがする。
だったら、議員宿舎でも公務員宿舎でも建てて住んだらいいじゃんって話になるかもしれない。
宿舎は言い過ぎでも、水稲の試験場だったり、環境研究施設だったりでもいいわけだし。
だからといってそれで農村・里山が守られるわけじゃないでしょ?
それはやっぱり本質からずれた所にあるからなんじゃないかな。
農村の本質ってコミュニティなんだろうって思うんだよね。
 
 
原風景に囲まれた、自然の多く残る緑豊かな地域。
そこに住む人達は近隣の人もよく知ってて、何かとコミュニケーションをとってる。
何かあるときには、近隣の人たちが助けあって解決する。
おすそ分け文化があって、ウチのコレと隣のアレを交換したりする生活。
ゆったりと過ぎる時間の中で自然を相手に過ごす休日。
夜は真っ暗で月明かりだけが輝き、誰かの家で宴会の声がする。
そんなコミュニティがきっと農村の本質なんじゃないかって。
 
 
いや、確かにあるよ、そういう世界。屋久島だってそういう部分がたくさん残ってる。
近隣の人はよく知ってて、顔も名前もみんなわかってるし、
葬式とか行事なんかだと集落の人達が集まって協力してるし、
出来過ぎたからって野菜の交換なんてのは日常茶飯事だし、
多くの人が釣りが趣味で仕事がないときは海に繰り出してるし、
街灯少ないから夜は暗いし、人の家で宴会なんてしょっちゅうやってる。
そう考えると屋久島は農村の風情がたっぷりとある。
そういう生活に憧れて屋久島に移住してくる人だっているのも知ってる。
でも、移住してくる人って実はかなりイレギュラーな存在なんだと思う。
 
 
都会に住んでいる多くの人は原風景とか濃いコミュニティに憧れるところはあるかもしれない。
だからと言って、ほとんどの人は農村に移住できるわけではないんだよね。仕事もないし。
移住したからといって地域に溶け込めるかっていうとその人次第なわけだし、
テレビもインターネットもある以上、そこまでゆったりとした生活してるわけでもない。
やっぱり便利な生活したいもの。コンビニだってあったらいいな、って思うし。
そう考えると「農村」とか「里山」って言葉が持っているものって
ノスタルジー以上のものではないんじゃないかって思えてきてしまう。
 
 
そのノスタルジーなイメージは、今はきっとかなりプラスに働いているんだと思う。
だから注目もされる。テレビだってそういう地域の若者の活動とかたまにやってる。
けど、テレビで取り上げられるのは特殊な例だからなんだよね。話題性があるってことだから。
屋久島は人口は横ばいで推移してる珍しい田舎なんだけど、年齢構成は高齢化が著しい。
他の農村は保護しなきゃいけないくらいにもう息も絶え絶えな状態なんだそうだ。
保護しなきゃいけないコミュニティって終わってるってことなんじゃないだろうか?
そこの人たちだけでは、もうどうにも出来ないってことだから。
そこの人たちだけで何とか出来るよっていうのがないと多分ダメなんだろうね。
ダメだってことはコミュニティのシステムとしてはニーズがなくなってると思う。
そういうコミュニティに帰ってきて生活している自分からすると残念なことなんだけど。
 
 
今のシステムのまま農村コミュニティを守っていきましょうっていうのは、
潰れていきそうな会社を更生法でなんとか維持しましょうっていうのと同じ。
何かが変わらなきゃ維持は出来ないのが世の常なわけだし。
だけど、待てよ。今の農村のシステムって本当に昔のままなんだろうか?
もしかしたらノスタルジーの中にある農村って違うシステムで存在してない?
「農村」のシステム的な本質は、実は今の実態からするとズレてるかもしれない。
じゃあ、「農村」ってなんだ?
やっと心に引っかかってる部分が見えてきた。
「農村」って言葉からくるものって実は存在しない過去のモノか幻想かもしれない。
もう少し考えてみることにしよう。