ヤクティブブログ

児童福祉の意義と現実。

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鹿児島児童相談所に児童福祉の研修に行ってきました。

寺子yactive始めたのは、未来に対して役に立つためなので、そのための知識と見識を得ようというのが目的。

 

子供を取り巻く環境も変わっているんだな、というのが感想。

おそらく、置かれている環境についてはそんなに違わないんだと思う。

昔からネグレクトや虐待はあったんだろう。

でも、そういう認識が社会になかったんじゃないかって思う。

そういう意味では、守られる環境が出来て問題が表にでるようになったのはいい変化なんじゃないかな。

一方で、権利が肥大化しているところがあって、それを振りかざす親や子ども自身によって対処が難しくなっているということもあるみたい。

そこは、大人がよくないんだなろうな、きっと。

 

障がい児が増えているって話もある。

ひとつは、生物学的に晩婚化による出産年齢の上昇によって障がい児が生まれる可能性があがっていることが原因みたい。

他には、昔は障がいって認識がなかったものが障がいって認識がなされるようになったケースもある。

例えば、学習障害や発達障害。クラスに一人はいた勉強の出来なかった子のうち数%はこれに当たるようになったんじゃないのかな。

それで、個人の発達具合に応じた対応が考えられるようになったのはいいことのなのかも知れない。

けど、病気と一緒で障がいも名前が出来てはじめて生まれるってこともあるんだよね、きっと。

一番大変なのは多分グレーゾーンにいる子どもたち。

認定されれば、親も公的にもそれなりの対応も出来るんだろうけど、認定されないから、ただ出来ないで片付けられる。

ここを育てるのが家庭と地域社会なのかもしれないなーって思う。

自分もそういうグレーゾーンにいる子と接してみて、周りの大人ができる事をしてあげれば、少しはなんとかなることもあるんだな、って実感している部分でもあるしね。

 

後は、子供に過大な期待を寄せすぎて潰すケースが多いらしい。

これは昔からあることだけど、息抜きが出来ない子供が増えていたり、環境的に過保護で息抜き出来る場所がなくなっていたり、息抜きの仕方を教える「ある意味で悪い大人」が減っているいたりして、子どもが息苦しくなっているんじゃないかなって感じていた。

いろんな子育て論や教育論が世間に氾濫しているけど、そこまでしないとダメなもんなんだろうか。

あんまり押し付けすぎると、自ら育つことができなくなってしまったりするんじゃないか、って思う。

親の気持ちは分からないでもないんだけどね。

 

逆に無関心すぎて心を潰すケースもあるらしい。

これも、子どもが外に助けを求めることが出来る場がないことがひとつあるんじゃないかな。

忙しくってかまってあげられない家庭もたくさんあるだろうし。

 

そういうことを考えていると、子どもに地域社会が必要になってくるってことやその子にあった子育てが必要ってことは理想としてはでてくる。

だけど、現実的によその子にそこまでの労力を割くことは難しいし、その子にあった…の前提となる見極めも難しいんだよね。

現実的にやるには周りの大人が出来ることを出来る範囲でやるってこと以外にはないんだろうなという結論になる。

出来ることでいいし、出来る範囲でいいんだよ。

だってそれ以上はできないんだもの。

それでも、きっと子どもは受け取ってくれる。

そう感じた研修でした。