ヤクティブブログ

大量の揚げ物と神の試練。

新規ドキュメント 49

屋久島に「岳参り」という神事があります。

古くから山は神域で、山に登って神にご挨拶にいくというもの。

各集落でこの神事を行っていて、はるおでも毎年やっています。

神事には直会(なおらい)がつきもの。神聖な打ち上げといえば分かりやすい?

 

 

直会の食事は村の女性達が担当することが多いのですが、

今年は下ン牧さんが揚げ物を担当することになりました。

毎週こだまクラブで10人前のランチを作っている下ン牧さん。

直会では30人前の唐揚げ、かき揚げ、ポテトサラダを担当。

夕方からはじまる直会に向けて昼間っからジュージュー。

とにかく量が多いので二台の鍋でドンドンあげていったそうな。

 

 

9月とはいえ、まだまだ暑い屋久島の気候。外は台風一過の晴天。きらめく太陽。

エアコンの効かないキッチン。二台の鍋には煮えたぎった油。

油からモンモンと上がる熱。そこはまさしく灼熱地獄…。

一段落したらエアコンのきいたリビングに避難。意を決してキッチンに戻る。

というのを繰り返し、夕方には大皿にのった料理が完成していました。

 

 

神は山に登らない人にも試練を与えたもう…。

やり始めるまでが…の時代劇。

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敬老会に向けて劇の練習をしています。水戸黄門です。

毎年恒例…というわけではなく今年初めての試み。

他の行事で好評だったので急遽することになったのです。

なんと助さん役に抜擢されて目下特訓中。

助さんといえば里見浩太朗、あおい輝彦とイケメンなんだけど

こんな太めの助さんでいいんだろうか…お婆ちゃんたちの夢…。

 

劇をするとか人前に出る自体はいいんだけど

練習がめんどくさい…って思ってしまうのがいけないところ。

キチンとしたものを作るためには練習大事なんだけどね。

ああ…今日は練習だったぜ…と少し憂鬱になるのもホントの所なのです。

いざ、練習が始まってしまえばノッてやってしまうんだけどね。

だから、始まってしまうまでが一番の戦いとなるわけです。

自分の中の怠け者との大一番を毎回繰り返してる感じです。

「え~~い、静まれ、静まれぃ!!」

共感力の欠如とその自己流対処法。

新規ドキュメント 47_1

先日、ちょっとした言い方で相手を傷つけたかもしれません。

後から思い出すと、悪い事したなーと反省しきり。

自分では励ましたつもりでも、怒らせたり傷つけたりすることがあります。

 

 

ふと、知り合いの医師から「お前アスペルガーかも知れないね。」と

言われたことを思い出しました。

共感力の欠如、想像力の欠如があることがそれっぽいのだとか。

共感力の欠如って要は空気が読めないってやつです。

かなり意識していないと相手の表情から感情を読み取れない。

他人は自分と同じことを考えていないことを忘れるとかもあります。

想像力の欠如はコレやったら痛いとか危ないとか怒られるとか

瞬間的な判断における想像力が欠けることがあるってことです。

要するにコミュニケーションにおける機能が足りないことがあるって話で。

 

 

その話以降、発達障害に興味を持つことになりました。

本当に障がいとなると生活に支障をきたすレベルの話ですが、

誰でも多かれ少なかれある種の傾向は持ってるみたいです。

度合いが強いと生きにくいと感じることもあるみたいですね。

指摘されるレベルの自分は今まで生きにくいとそんな感じたことはありません。

どうも、気がつかないうちに対処法を学んでいたようです。

 

 

それは対人の場合は脳内でシミュレートしたりリハーサルすること。

瞬間的でなければ、それなりに想像力も働くので、

相手先に訪問するとか、プレゼンだとか、会食だとか、接客だとか

場面が分かっている時は気づいたらやっています。

これは学生時代にデートや合コンで勝手に盛り上がって

ああしよう、こうしようって考えていたことの応用みたいなもんです。

妄想が盛り上がると相手の反応や会話の一字一句までやっちゃいます。

現実にその通りになることはないけど、落ち着いて行動できる気がします。

仕事なんかでルーチンになるとシミュレートしなくても対応出来るようになります。

 

 

だけど、そうじゃくて想像していなかった場面ではやっぱり空気読めず。

今回がそうでした。不意の一言で傷つけたかもしれません。

もっと想像力を働かせられるように意識しなければ。

何かしたい。

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農家って自営業のひとつの形です。

まあ、当然の話なんですけども。

自営業って自分で考えたことが出来ることが

一番やっていて面白いところだと思います。

 

 

ボクの周りの若手農家にも「何かしたい」って

思っているヤツはいたりするわけです。

だけど、その「何か」っていうのが分からない。

って言う事のほうが多いような気がします。

 

 

自分からやりたいって思うってことは

何か自分の中でひっかかりがあることなんですけど

自分が何だったらひっかるかって部分が分からない。

多分、そんな状況なんだろうなって感じます。

 

 

ひっかかりってボクの中では「面白さ」だと思うんだけど

面白いってどういうことなのかがピンと来ない的な。

 

 

それは面白いって言葉が「Funny」に寄っていて

「Interesting」の意味が軽視されているからのような

気がしたりもします。

「Funny」はモテようとか、注目浴びようって時に

わりかし考えて発言するって機会は結構あって

島だと主に飲み会などで頭が働いている人は多いです。

だけど、「Interesting」は相手に伝えたり、共感しようとすると

お互いが真面目にコミュニケーションを取らくちゃいけなくて

そういう機会ってなかなか得がたいモノになっています。

 

 

機会損失の影響は思いの外大きいと思われます。

真面目に考える機会そのものが無くなるわけですから。

ボクは「Interesting」な話は好きなんですけど、

真面目にそういう話をするのはどうも照れくさいとか

カッコ悪いことっていう空気感があるように思います。

 

 

自分が何だったら面白いと感じるのか。

自分が何だったらできるのか。

それを考えて話す機会が増えていけば

それだけでも島はもっと活気が出て面白くなるのにな。

地方が本質的に求めている人材はハードル高い。

地方に残る人というのは地元にとって非常に大事な存在です。

地域の伝統や行事、組織を守るために必要だからです。

地元が好きな人はそういう部分を守ろうとします。

本質的に保守的な人材だってことですね。

 

 

地域社会を考えた時にそこは非常に大事な所で

歴史や伝統はそれで何とか守られているのです。

 

 

でも、問題は地方経済の部分です。

保守的ということは変化を嫌う傾向にあるからです。

これは実際に島で生活していて思うところです。

もっと合理的に出来る所があるんじゃないかって思います。

 

 

変化がめまぐるしい社会情勢なので、

保守的な人だけでは変化に対応するのが難しいのです。

変化を好む人は都会に出て行ってしまう傾向にあるので

どうしても地方経済は取り残されてしまうことになります。

 

 

田舎暮らしというのは情緒や感情がとても大事で

それはこれから残していかなければならない部分ですが

残す方法は論理的に合理的に考えなければなりません。

でなければ田舎のいいところを残しつつ生き残るという

戦略が全く成り立たないからです。

 

 

出て行ってしまう変化を好む方の人材の中には

論理性や合理性がある人がいたりします。

それは地元民から見れば冷たく感じたり

人間味がないように思えるかもしれません。

合理的ということは切り捨てる部分を考えることでもあるからです。

 

 

でも、実際のところ地方が生き残りをかけるには

どこを活かしてどこを切り捨てるか考える必要があります。

本質的に地方が求めている人材はそういう人なんです。

だから外からコンサルタントを呼んでアイデアを出してもらいます。

だけど、それが本当に地元にあってるかは分かりません。

そこに住んだことがないわけですから。

 

 

理想は地元で考えられる人材を育てて

その人材が活躍できる場所を用意することなんです。

活躍の場所から作れるってなるとハードル高いですし、

ヘタしたら周りとの調和が取れない可能性もありますから。

 

 

寺子yactiveでそういう人材を育ててみたいなって

思ってるわけです。ハードル高いですけど。