摘果の重要性とは・・・

梅雨も明けて果実が肥大スピードを上げていく中で、摘果という作業が出てくる。

 

屋久島の場合、ぽんかん・たんかんにかかわらずL~2Lの大玉生産を方針としてとっている。摘果を推進し大玉を作るのか少量摘果でこだまを生産していくのは農政の方針としてもとても重要になってくる問題である。

 

では、大玉と小玉にはどのようなメリット。デメリットがあるのか少しあげていきたいと思う。

 

大玉のメリット

・収穫作業や箱詰め等の作業において小玉よりも作業がしやすい。

・市場価格が高い

・樹勢のコントロールがしやすい

 

デメリット

・小玉に比べると大味になる

・摘果作業が増える

・消費者のニーズと少し乖離がある(比較的大玉のデコポン ですら小玉を作ろうという動きがある)

 

小玉のメリット

・大玉よりも味が濃く感じる

・摘果作業が減る

・収量(㌔)が上がる

 

デメリット

・箱詰め・収穫作業に時間がかかる

・市場価格が安い

・樹勢コントロールが難しい

 

どちらを作るのにも一長一短あるのだが、少なくとも摘果推進の大玉生産は数十年前からの技術であるのは間違いなく、大玉生産をしない産地も増えてきている。小玉を生産するのは非常に難しいのでそのあたりの技術改革も必要なのかもしれない。

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———————本日のまとめ——————————-

屋久島も産地として生産方針を見直す時期に来ているのかもしれない

 

以上 ナカラセでした

 

青年農業士講座制研修。

o0640048013013360157扁桃腺が腫れて熱が出たり、
東京・大阪からお客さん来たりして
だいぶ更新してなかった。

 

 

昨日、今日と研修に参加。
青年農業士講座制研修という名前の長い研修だった。
これをクリアすれば青年農業士を名乗れるらしい。

 

 

講義の時に「農村」って言葉が妙に引っかかって思考の迷路…。
http://yactive.net/archives/541

 

 

それはそうと、農業の生産管理をデータ化するというのが近年注目されてるらしい。
クラウドで現場ではスマホでデータをオンタイムで入れて
自宅PCで管理するっていうもの。
まあ、そうなるだろうね。

 

 

調べたら結構高いのね、システム導入にかかる資金。
技術的にそりゃそうだって思うんだけど、それでも、小さな農家には厳しいなぁ。

作業管理くらいはフリーでクラウド化はいくらでもできる。
データ集積を自動でっていうのが専門ソフトの強みなわけだ。
導入したら楽そうだけど、まだまだ無理かも…。
いずれ必須になるけどね。

農村ってなんだ?

青年農業士講座制研修というのに参加しました。

やたら長い名前なんだけども、要は「青年農業士」を名乗るための研修。
青年農業士の特典は今のところ分からないけど、
リーダー論、プロジェクト作成・継続手法、数字管理、ITC活用と
普段の農業系の研修と比べると非常に中身が濃かったので満足。
 
 
研修とは全く関係のないところなんだけど、
講座の中で「農村」っていうキーワードが出てきて、何故か妙に心に引っかかる。
そういえば、色んな所で「農村」って言葉はよく聞くんだよ。
普通はあんまり聞くことはないと思うんだけど、農業関係だと本当によく聞く。
最近だと「里山」って言葉になってるかもしれないけど、多分、同じ文脈で使われてる。
なぜか分からないけど、その言葉がスルー出来ない。
前から考えてる「やさしい農園」とリンクする言葉だからかもしれない。
「農村」がやさしいのかって言われると、それはちょっと微妙だけど。
 
 
それで、こっそり調べてみた。スマホって本当に便利。講師さんすみません。
農村の果たしてきた役割については農林水産省とか各県市町村のページにあったりした。
中山間地域の水田地帯のことしか書いてない。少しガッカリ。
水田による水の保全。山間部と都市部の境界線。地下水の保全。
地域の伝統と文化の保全。里山環境の維持、保全。保全。
確かに中山間地域の壊滅で土砂崩れが起きやすくなったり、
シカやイノシシといった獣たちが都市部に降りて来やすくなるとか大変だろうけど。
伝統と文化の保全以外は技術でなんとか出来なくもなさそうな事だと思う。
民間が自主的にやってきたことだから、それを公共事業的にやろうとすると
莫大な時間とお金と人とエネルギーが必要になってしまうんだろうけど。
 
 
でも、それは農村の本質じゃないような気がするんだよね。
そのために農村・里山を守りましょうって言われても、って感じがする。
だったら、議員宿舎でも公務員宿舎でも建てて住んだらいいじゃんって話になるかもしれない。
宿舎は言い過ぎでも、水稲の試験場だったり、環境研究施設だったりでもいいわけだし。
だからといってそれで農村・里山が守られるわけじゃないでしょ?
それはやっぱり本質からずれた所にあるからなんじゃないかな。
農村の本質ってコミュニティなんだろうって思うんだよね。
 
 
原風景に囲まれた、自然の多く残る緑豊かな地域。
そこに住む人達は近隣の人もよく知ってて、何かとコミュニケーションをとってる。
何かあるときには、近隣の人たちが助けあって解決する。
おすそ分け文化があって、ウチのコレと隣のアレを交換したりする生活。
ゆったりと過ぎる時間の中で自然を相手に過ごす休日。
夜は真っ暗で月明かりだけが輝き、誰かの家で宴会の声がする。
そんなコミュニティがきっと農村の本質なんじゃないかって。
 
 
いや、確かにあるよ、そういう世界。屋久島だってそういう部分がたくさん残ってる。
近隣の人はよく知ってて、顔も名前もみんなわかってるし、
葬式とか行事なんかだと集落の人達が集まって協力してるし、
出来過ぎたからって野菜の交換なんてのは日常茶飯事だし、
多くの人が釣りが趣味で仕事がないときは海に繰り出してるし、
街灯少ないから夜は暗いし、人の家で宴会なんてしょっちゅうやってる。
そう考えると屋久島は農村の風情がたっぷりとある。
そういう生活に憧れて屋久島に移住してくる人だっているのも知ってる。
でも、移住してくる人って実はかなりイレギュラーな存在なんだと思う。
 
 
都会に住んでいる多くの人は原風景とか濃いコミュニティに憧れるところはあるかもしれない。
だからと言って、ほとんどの人は農村に移住できるわけではないんだよね。仕事もないし。
移住したからといって地域に溶け込めるかっていうとその人次第なわけだし、
テレビもインターネットもある以上、そこまでゆったりとした生活してるわけでもない。
やっぱり便利な生活したいもの。コンビニだってあったらいいな、って思うし。
そう考えると「農村」とか「里山」って言葉が持っているものって
ノスタルジー以上のものではないんじゃないかって思えてきてしまう。
 
 
そのノスタルジーなイメージは、今はきっとかなりプラスに働いているんだと思う。
だから注目もされる。テレビだってそういう地域の若者の活動とかたまにやってる。
けど、テレビで取り上げられるのは特殊な例だからなんだよね。話題性があるってことだから。
屋久島は人口は横ばいで推移してる珍しい田舎なんだけど、年齢構成は高齢化が著しい。
他の農村は保護しなきゃいけないくらいにもう息も絶え絶えな状態なんだそうだ。
保護しなきゃいけないコミュニティって終わってるってことなんじゃないだろうか?
そこの人たちだけでは、もうどうにも出来ないってことだから。
そこの人たちだけで何とか出来るよっていうのがないと多分ダメなんだろうね。
ダメだってことはコミュニティのシステムとしてはニーズがなくなってると思う。
そういうコミュニティに帰ってきて生活している自分からすると残念なことなんだけど。
 
 
今のシステムのまま農村コミュニティを守っていきましょうっていうのは、
潰れていきそうな会社を更生法でなんとか維持しましょうっていうのと同じ。
何かが変わらなきゃ維持は出来ないのが世の常なわけだし。
だけど、待てよ。今の農村のシステムって本当に昔のままなんだろうか?
もしかしたらノスタルジーの中にある農村って違うシステムで存在してない?
「農村」のシステム的な本質は、実は今の実態からするとズレてるかもしれない。
じゃあ、「農村」ってなんだ?
やっと心に引っかかってる部分が見えてきた。
「農村」って言葉からくるものって実は存在しない過去のモノか幻想かもしれない。
もう少し考えてみることにしよう。

50年前の農業だって…!?とんでもない!

やさしい農園を考えるために、いろんな情報を調べているんだけど

いろんな情報があふれすぎていて正直、何がなんだか…分からない。

ポジティブとネガティブが混ざり合っている。

そんな中、無農薬だったか有機栽培だったか忘れてしまったけど、

「50年前の農業に」というスローガンというか合言葉を見つけてしまった。

いわゆる環境循環型農業ってやつだったと思う。

 

50年前の農業だって…!?とんでもない!

50年前といえば、1960年代。

悪名高い有機塩素系や水銀系の農薬全盛。

一番農業がネガティブだった時代。

まあ、言葉のアヤってやつだろうけど。

多分、100年前くらいのイメージなんだろうと思う。

明治時代くらいかな?調べていくと明治時代には農薬使用が始まっていたらしい。

多分、安全性なんて言葉のなかった時代だからちょっと怪しい。

…てことはイメージは江戸時代くらいかな?

 

それはさておき、環境循環型ってすごくいいことだと思う。

全てそこで循環させてまかなうってことでしょ?

要は農園にジオラマ的な自然林を作るってことだよね。

もしくは自然原ってことかな?

農業に関わるまでこういう考え方があるって知らなかった。

あんまり興味がなかったんだろうなー。

 

農業って前回のエントリでも書いたように

人が食べるために、元々そこにはなかった植物を、人の手で植えて、育てて収穫する、こと。

が多分本質なんだと思う。

そこから収穫物を採ってしまう以上、農園の栄養分を持ち出すってことになる。

環境循環型は理想的なのかもしれないけど、どうやって、持ちだした肥料分を補うか?

っていう命題が常につきまとう考え方かも。

 

江戸時代…いや戦後くらいまではこの辺の農家も牛とか豚とか鶏を飼っていたらしい。

人糞と家畜糞が肥料の役目をしていた部分もある。

それで肥料分が足りていたのかは分からない。

だけど、寄生虫とか大腸菌も一緒に撒かれていた。

当時はそれが当たり前で、耐性もあったようだし、それを駆除するために強い薬もあったみたい。

寄生虫と大腸菌と環境循環型はトレードオフしたっていう見方もできるってことだね。

 

今行われている慣行農法って言うやり方は農薬を使っているし、配合肥料も使っている。

それを出来るだけ減らすことは出来るかもしれない。

効果とのトレードオフだから、経費はかさむかもしれないけど。

もちろん、無くすこともできるんだろうけど、間違いなく、(農産物の)病気の菌とか微生物、

ダニ類なんかが今のものより多いものをお客さんに販売するってことになりそうなのが怖い。

知らなきゃ、それでもいいのかもしれないけど、やっぱり…それはやさしくないよなぁ。

 

それらが多い農産物がどのくらい人体に影響するかなんて論文がなかなか出てこないんだもの。

それらを抑える方向で技術は進んでいるから抑えた上での安全性しか研究されてないみたいだし。

 

やさしいって…なんなんだろう…。

今年初!アシナガバチに刺された!!

o0640048013001224840土曜日はこだまクラブの活動日。

草払い&防風林剪定。

作業を始めてすぐだった。

ブーンという音とともに後頭部に鋭い痛みが!

ええ、アシナガバチに刺されたんです。

 

 

毎年、2、3回は刺される。

今年は今日が初だった。

この痛みはなかなか慣れない。

すぐに薬をつけたから、すぐに腫れも引いたけど。

 

 

蜂の巣は近くにあった。

奥まっていたから気がつかなかったんだよね。

向こうは向こうで必死だろうけど、怒りのジェットが霧を吹いた。

拳大くらいの巣で、5匹くらいいたうちの3匹仕留めた。

 

不幸中の幸いとしては自分が刺されたことかな。

ワーキングスタッフとかボランティアスタッフじゃなくて本当によかったー!

でも、いつかアナフィラキシーで大変な目に合いませんように…。

実はちょびっと怖い…。